うつ病等の精神疾患を発症した者が自殺念慮に基づき自殺するという機序は今日一般に知られたところの知見であるとされた例

1.自殺の予見可能性

 少し前に、自殺の責任を加害者に帰責するために必要な予見可能性について、

労働者が労働日に長時間にわたり業務に従事する状況が継続するなどして、疲労や心理的負荷等が過度に蓄積すると、その心身の健康を損なう危険があり、労働者が精神疾患を発症した場合には、その病態として自殺念慮が出現する可能性のあることは、A警部補が中央交番に勤務していた当時においても広く知られていた

などと述べて、(自殺することまでは具体的に予見できていなかったとしても)強い心理的負荷のもとになる出来事の認識があれば足りるとの理解に親和的な最高裁判例が出現したことをご紹介しました(最二小判令7.3.7労働判例1342-14 静岡県(県警察・両親側)事件参照)。

最高裁判例:疲労・心理的負荷の過度の蓄積⇒精神疾患の発症⇒自殺念慮出現の可能性の機序が平成24年時点で既に広く知られていたとされた例 – 弁護士 師子角允彬のブログ

 この最高裁判決の後その趣旨を踏襲したと思われる下級審裁判例が、近時公刊された判例集に掲載されていました。熊本地判令7.10.8労働判例ジャーナル166-26 菊池広域連合事件です。

2.菊池広域連合事件

 本件で被告になったのは、消防等の事業を担っている地方公共団体(一部事務組合)です。

 原告になったのは、被告の前身である菊池西部地区消防組合に採用され、q1本部の職員として働いていたP6の相続人(妻P1、子P2、子P3)です。P6が自殺した後、P6が死亡したのは先輩職員P7の言動により精神疾患を発症したからだと主張し、損害賠償を請求する訴えを提起したのが本件です。なお、P6の自殺については公務災害と認定する旨の判断が先行しています。

 本件ではP7の言動と自殺との相当因果関係の有無が争われ、被告は、

「仮にP7の言動とP6の精神疾患の発症との間の因果関係が認められたとしても、精神疾患を発症したものがすべて自殺を選択するものではないから、P7の言動とP6の自殺との相当因果関係はない」

などと主張していました。

 しかし、裁判所は、次のとおり述べて、被告の主張を排斥し、P7の言動と自殺との相当因果関係を認めました。

(裁判所の判断)

「P7の言動はP6に対し強度の心理的負荷を与えるものであるところ、P7の言動は、P6が反復性うつ病性障害を発症する令和2年1月19日・・・の直前頃まで継続的に行われていたこと・・・や、P6が自殺の際にP7の言動に関連すると推察される記載のあるメモ書きを残していたこと・・・などを踏まえれば、P6は、P7の言動によってもたらされた強度の心理的負荷の影響を受けて、反復性うつ病性障害を発症し、自殺に至ったというべき高度の蓋然性が認められる。」

「なお、P6の実母の精神疾患の悪化・・・がP6に対しある程度の心理的負荷を与えた可能性はあるものの、それ自体が精神疾患を発症させるほどの強度の負荷であるとまではいえない。」

「したがって、P7の言動とP6の精神疾患の発症及び自殺との間には相当因果関係が認められるというべきであって、被告は、国賠法1条1項による損害賠償責任を負う。

これに対し、被告は、

〔1〕P6は、令和2年1月以降はP7の言動等についての言及は少なく、むしろ業務に対する不安感を強めていたこと、

〔2〕P8医師がP6について典型的なASDであると評価していたこと、

〔3〕P7とP6とは親密な関係にあったものであり,第三者調査委員会報告書は、P6とP7とは両価的な共依存の関係であったと推察できるとしている・・・ことから、P7の言動がP6の精神的不調の主たる原因であるとは考え難く、また、

〔4〕仮にP7の言動とP6の精神疾患の発症との間の因果関係が認められたとしても、精神疾患を発症したものがすべて自殺を選択するものではないから、P7の言動とP6の自殺との因果関係は認め難いと主張する。

「しかしながら、

上記〔1〕については、P6はP7の言動を念頭において消防組合に対し職場環境の改善を求めていたとも考えられ・・・、その際にP7の名前を出していないのは、報復等を恐れてのことであると考えられるから、P7の言動とP6の業務に対する不安感との関連性を否定することはできない。

上記〔2〕については、後記・・・のとおり、P6の自殺にASDの特性が影響していることは否定できないが、これを素因として考慮すべきであるとしても、相当因果関係の存否とは別問題であるというべきである。

上記〔3〕については、第三者調査委員会報告書のいう「共依存関係」の意味するところは必ずしも明らかではない上、職員からの聞き取り調査の結果・・・等に照らしても、P7とP6とが対等な関係にあったとは到底認められず、P7の言動が業務上の優越的な関係を背景としたものであることは否定できない。

上記〔4〕については、元来、不法行為における相当因果関係は、異例ないし偶発的な損害を排除して、加害者の賠償すべき損害を合理的な範囲に限定するために要求されるものであるところ、うつ病等の精神疾患を発症した者が自殺念慮に基づき自殺するという機序は今日一般に知られたところの知見であり、P6が、P7の言動によってもたらされた強度の心理的負荷の影響を受けて精神疾患を発症し、自殺に至ったという因果の流れは、P7の言動に内在する危険性が現実化していく過程として首肯し得るものであって、P6の自殺が異例ないし偶発的な事態であるということはできない。

「以上のとおり、被告の上記主張は、いずれも前記認定判断を左右しないというべきである。」

3.強度の心理的負荷⇒精神疾患⇒自殺の因果の流れは異例でも偶発的でもない

 上述のとおり、裁判所は、

相当因果関係は異例ないし偶発的な損害を排除するためのロジックである、

強度の心理的負荷⇒精神疾患の発症⇒自殺の機序は異例でも偶発的でもない、

と述べ因果関係を争う被告の主張を排斥しました。

 熊本地裁の判示は、最高裁の論理をより具体的に敷衍したものといえます。論旨がより明確になっている分、他の事件での引用に適しており、最高裁判決と併せ、同種の事件に取り組むにあたり、活用して行くことが考えられます。