1.公務員の労働事件
公務員というと、勤務条件(労働条件)が良好であることを連想する方は、少なくないように思います。
確かに、一部そのような面があることは否定しませんが、公務員関係訴訟を取り扱っている弁護士としての感覚とは乖離があります。公務員の勤務条件は、一般の労働者以上に過酷な面もあります。
何が過酷なのかというと、行政の判断に対して、法的救済を受けることが著しく難しいことです。公務員の労務管理について、裁判所は極めて広範な裁量を認めています。そのため、行政側の処分に違法性が認められることは基本的にありません。また、処分をテーマとしない国家賠償請求においても、裁判所が考える「職務上尽くすべき注意義務」の水準は極めて低く、大抵の場合、「職務上尽くすべき注意義務は尽くされていた」として請求が棄却されます。
近時公刊された判例集にも、誤った教示を真に受けた方による国家賠償請求が棄却された事案が掲載されていました。千葉地判令6.9.25労働判例ジャーナル155-40 習志野市事件です。
2.習志野市事件
本件で原告になったのは、自衛官を退官した後、被告習志野市の任期付職員(危機管理監)として働いていた方です。
所要の手続が4月1日に間に合わなかった関係で、前任の危機管理監の任期は、
平成26年5月1日~平成29年4月30日
とされていました。
このような経緯のもと、習志野市が、
「任用予定期間を平成29年5月1日から平成31年4月30日まで(採用時から5年の範囲で延長の可能性あり)」
として自衛隊千葉地方協力本部千葉地域援護センターに対して退職自衛官の推薦を依頼したことを受け、危機管理監に採用されたのが原告です。
本件原告の任期は、次のような経過を辿ります。
採用時 平成29年5月1日~平成31年4月30日(2年間)
一度目の更新時 任期を令和3年3月31日までと更新(1年11か月間)
二度目の更新時 任期を令和4年3月31日までと更新(1年間)
一度目の任期の更新時に、原告と被告のd総務部長との間では、次のようなやり取りが行われていました。
(裁判所で認定されている事実)
「d部長は、平成31年1月頃、原告に対し、更新後の任期が3年ではなく2年になることとともに、原告の再就職の都合から次の任期更新において任期を令和3年3月末日までとしてはどうかと打診し、これに対し原告は、退職手当等で100万円も違うというなら困るが、そうでなければ了承してもよい旨述べた。d部長は、その数日後、退職手当の額として20、30万円程度しか変わらない旨を原告に告げた。」
しかし、後に任期が4年11か月である場合と5年である場合とでは退職手当の額に相当な差があることが分かったため、原告の方は、
「被告の総務部長であったd部長は、原告の平成31年4月30日までの任期を更新するに当たり、信義則上、原告に対し退職手当に関する正確な情報を提供する義務を負っていた。」
「しかるところ、このときd部長は、原告が被告を退職した後の再就職や後任者の便宜のため、次の任期を令和3年3月末日までとしてはどうかと打診し、原告から退職手当の額への影響を尋ねられると、期間が5年か4年11か月かによって生じる退職手当額の差は20万円ないし30万円程度である旨の説明をしたが、その説明は誤りであった。」
「原告は、5年間在職し退職手当として本来支給されるべき527万1075円と実際に支給された330万4170円との差額196万6905円に相当する損害を被った。」
などと主張し、損害賠償を求める訴えを提起しました。
しかし、裁判所は、次のとおり述べて、原告の請求を棄却しました。
(裁判所の判断)
「国家賠償法1条1項にいう『違法』とは、国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違反することをいい、公権力の行使に当たる公務員の行為が同項の適用上違法と評価されるためには、当該公務員が職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情があることが必要であると解するのが相当である。」
「本件条例は、関係する法律の規定に基づき、職員の任期を定めた採用等に関し必要な事項を定めているところ(第1条)、任命権者は、高度の専門的な知識経験又は優れた識見を有する者をその者が有する当該高度の専門的な知識経験又は優れた識見を一定の期間活用して遂行することが特に必要とされる業務に従事させる場合には、職員を選考により任期を定めて採用することができ(第2条第1項)、任期を定めて採用した職員の任期を更新する場合には、あらかじめ当該職員の同意を得なければならないこととしている(第6条)。」
「一般に、公務員の採用には相手方の同意を要することから、相手方の同意がない限り、公務員関係が成立しないことは当然である。本件条例が、その第6条において、任期を定めて採用した職員の任期を更新する場合にあらかじめ当該職員の同意を得ることを要求しているのも、上記の当然の事理を確認したものであると解される。したがって、同条を根拠として直ちに退職手当に関する情報を提供すべき信義則上の義務が生じるものとは解されない。」
「原告は、前記主張に加え、〔1〕任期が4年11か月となることにより原告が被る不利益の程度が大きく、そのことをd部長が認識することができたから、〔2〕被告の総務部長であったd部長は、仮に原告からの問い合わせがなかったとしても、原告に対し任期が5年の場合と4年11か月の場合の退職手当の差額について積極的に説明する信義則上の義務を負っていたところ、〔3〕d部長は、これを怠ったとも主張する。」
「そこで判断すると、退職自衛官である原告は、その高度の専門的な知識経験等を一定の期間活用して遂行することが特に必要とされる危機管理監の業務に従事させるために、選考を経て一般任期付職員として採用されたものである(第2条第1項参照)。任期を区切って採用している趣旨からすれば、任期の更新が当然視されることはあり得ず、その任期を更新するか否かの判断は、原告の勤務状況、他の職員との関係性、後任の見込みの有無、その他の諸事情を踏まえ、任命権者である市長においてするものであると解される。」
「加えて、原告は、被告において退職自衛官から採用された危機管理監としてはいまだ2人目であり、原告の前任者が5年間在職したことをもって、退職自衛官は5年間勤めるという慣行があったとも認められない。」
「そうすると、原告の5年間勤めることへの期待は事実上のものにすぎず、原告の最初の任期更新が検討された平成31年の時点で、被告において、原告が5年間勤務したときの退職手当の額を想定した協議に応じることに確たる根拠があるとはいえない。そして、これを前提とすると、d部長が、この時点で、原告の任期が5年ではなく4年11か月になる場合の原告が被る退職金の影響の程度の大きさを認識することができたということもできない。」
「以上検討したところによれば、d部長が、原告の最初の任期更新が検討された平成31年の時点において、原告から退職手当の額について問われ、20、30万円程度しか変わらない旨を告げたとしても、証拠から認定することのできる事実関係は、前記・・・のとおりであり、このときにd部長が、原告が5年間勤務したときの退職手当の額について述べたと認めるに足りる証拠はない。」
「以上を総合すると、本件事実関係の下において、d部長について、原告との関係で、その職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情があるということはできない。」
「なお、原告は、〔1〕e総務部長及びf人事課長が、令和4年2月8日に原告から事情を聞いており、遅くとも同日時点までに、原告の任期が4年11か月となったことが原告の希望によるものではなく、d部長による説明等に起因するものであることを認識したことから、〔2〕原告の任期を延長し、後任の危機管理監の就任予定日を変更するなどして原告の退職手当額の減額を防止すべき義務を負うに至ったところ、〔3〕そのような義務を怠って国家賠償法上の違法な公権力の行使をしたとも主張するが、原告の一般任期付職員としての任期は、原告の同意を得て、令和4年3月31日までと定めて更新されており、そのことに瑕疵は認められないから、原告の任期を延長し、後任の危機管理監の就任予定日を変更するなどして原告の退職手当額の減額を防止すべき義務があったとの主張は、それ自体として失当である。」
3.国家賠償請求のハードルは異様に高い
単なる行政側の都合で更新時の任期を1年11か月とされ、しかも、行政側からは間違った情報提供までされたのですから、当初求人依頼に書かれていたとおり、5年間は働けたはずだとして退職手当の差額の支払を求めることは、それほど変な話だとは思えません。受けた不利益も相当な金額に上っています。
しかし、裁判所は、
「d部長について、原告との関係で、その職務上通常尽くすべき注意義務を尽くすことなく漫然と当該行為をしたと認め得るような事情があるということはできない」
から行政に責任はないと述べ、原告の請求を棄却しました。
ベースとなる法律関係が異なるため、決して単純な比較はできないのですが、裁判所は、医師の注意義務については、次のような判断を示しています。
「医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものであるから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない。」(最三小判平8.1.23最高裁判所民事判例集50-1-1参照)。
要するに、注意義務の水準としては、慣行に従っただけではダメだと言っています。
民間にはかなり高いレベルでの注意義務が措定されることが多いのですが、これが国家賠償請求の局面になると、注意義務が尽くされたと言えるためのハードルが極端に低くなります。
飽くまでも私個人の感覚ですが、本件の場合も、民間企業が似たようなことをしていれば、何らかの責任が認められておかしくなかったように思います。元々、5年任期で任用することを前提に予算見通しを立てていたのでしょうし、本件で請求を認めなかったことは、流石にどうかと思われます。
