1.労働時間立証のハードル
残業代を請求するにあたっては、労働日各日の始業時刻、終業時刻を原告側で特定しなければなりません。
立証の負担は、タイムカード等の客観的な方法による労働時間管理が行われている場合には、左程でもありません。
しかし、労働時間管理が行われていない場合、労働日各日の始業時刻、終業時刻を特定することは、極めて困難です。
そのため、実務では、しばしば、労働時間管理をきちんとしている会社よりも、労働時間管理を放棄している会社の方が利得する(残業代を払わなくてよくなる)という逆転現象が生じています。
こうした逆転現象が生じるのは、裁判所が労働時間立証のハードルを引き下げることに慎重な姿勢をとっていることにも原因があります。
素朴な法感覚として、
使用者には、法律上、労働時間を管理する責務がある、
そうであるにもかかわらず、労働時間管理が全く行われていない、
結果、残業をしたこと自体は明らかであっても、労働者で労働日各日の始業時刻、終業時刻を厳密に特定することができない、
とくれば、
労働時間の立証のハードルを引き下げ、ある程度、ラフに労働日各日の始業時刻、終業時刻を認めても良いのではないか?
そうしなければ、労働時間を真面目に管理している会社が馬鹿みたいではないか?
労働時間管理を放棄している以上、そのことによる不利益を使用者側で負うのは自業自得ではないのか?
という問題意識が出てくるのは自然なことだと思います。私自身も、そのような考え方をとっています。
しかし、こうした利益衡量的な議論に慎重な姿勢をとる裁判体は、決して少なくありません。
そうした傾向に一石を投じる事件として、一昨日、昨日とご紹介しているのが、東京地判令6.6.13労働判例ジャーナル154-52 サーバーリーズン事件です。
この裁判例が、利益衡量的な考え方から、メールの送受信記録による労働時間立証を認めたことは、一昨日、ご紹介させて頂いたとおりです。
残業代請求-適切な労務管理をしていなかったことが理由で、証拠力が不十分でもメールの送受信記録による労働時間立証が認められた例 – 弁護士 師子角允彬のブログ
しかし、この裁判例が特徴的なのは、メールの送受信記録による労働時間立証が認められたことだけではありません。メールのような客観証拠が存在しない期間について、直近の稼働状況の平均値から始業時刻、終業時刻を認定している点にも注目されます。
2.サイバーリーズン事件
本件で被告になったのは、コンピュータソフトウェアの設計等を目的とする合同会社です。
原告になったのは、被告のカスタマーサクセスマネージャー(CSM)やテクニカルコンサルタント(TC)として勤務していた方です。
被告から普通解雇された後、解雇無効を理由として地位確認や、ハラスメントを理由とする損害賠償請求、未払割増賃金(残業代)等の支払いを求める訴えを提起したのが本件です。
本日、焦点を当てるのは、残業代請求との関係です。
原告の残業代請求の対象期間には、メモ以外に労働時間を立証する証拠の存在しない期間がありました。
この期間の労働時間ついて、裁判所は、次のような認定をしました。
(裁判所の判断)
・平成31年2月1日から令和元年5月31日まで
「上記期間については、本件メモに記載された労働時間以外に原告の実労働時間を証する証拠は存在しないところ、本件メモの記載を信用することができないことは前記・・・のとおりである。他方で、上記期間に関しても、前記・・・で説示したのと同様に、原告が一定の時間外労働をしていたものと認められるところ、被告による原告の労働時間の管理が不十分であったにもかかわらず、証拠が存在しないとして上記期間の原告の実労働時間を一切認めないとするのは相当ではない。そこで、上記期間の平日に関しては、直近3か月間(令和元年6月1日から同年8月31日まで)の各平日の平均始業時刻(8時39分)、平均終業時刻(18時55分)及び平均休憩時間(1時間)をもって、実労働時間を認定するのが相当であり、上記期間の休日に関しては、勤務表・・・に記載のある限度で労働時間を認めるのが相当である。」
3.平均値からの推計が認められた
冒頭で述べたとおり、利益衡量的な労働時間立証について、裁判所は必ずしも積極的ではありません。しかし、本件のように、利益衡量的な発想に立って、労働時間立証を認めた裁判例も、従前から一定数は確認されてきました。
おそらく、
労働時間管理をしていない会社(法無視をしている会社)の方が、労働時間管理を真面目にしている会社(法を順守している会社)よりも不利になる、
法無視をしている会社が、労働者をタダ働きさせる、
という構造に違和感を持っている裁判官も、相当数いるのではないかと思います。
本裁判例を孤立させないためにも、残業代請求にあたる労働者側の弁護士は、こうした裁判例を積極的に引用して行くことが必要だといえます。
