1.自殺を予見することの難しさ
本邦では年間2万人以上が自殺しています。
https://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/jisatsu/R06/R5jisatsunojoukyou.pdf
国や自治体、民間団体などが、それぞれの立場で自殺防止に向けた取り組みを進めてはいるのですが、依然として多くの方が自殺しているのが実情です。
自殺防止が難しいことには様々な理由がありますが、その中の一つに、徴候が分かりにくいことがあります。
本気で自殺しようとしていることが分かれば、医療機関に繋ぐなど幾らでも対応をとることができます。しかし、自殺の徴候は、分かりにくいことが少なくありません。事後的に振り返ると、「あの時の、あの言動は危険な兆候のサインだったのではないか?」と思い当たることはあっても、普通に生活しているだけだと、なかなか気付くことができません。「平気です。」「大丈夫です。」などと言っていた方が、ある時、突然自殺して周囲が呆然とするということが、自殺事案では珍しくありません。自殺のシグナルは周囲から見て分かりにくいからこそ、年間2万人以上もの人が自殺で亡くなっているといえます。
このことは、法的に言うと、職場における自殺事案で使用者側の責任を追及するにあたってのハードルが高いことを意味します。
仕事が原因で自殺に至っている場合、労働者災害補償保険法によって、遺族等はある程度の給付を受けることはできます。労災の保険給付を受給するにあたっては、業務と自殺との相当因果関係(業務起因性)さえあればよく、使用者の過失は問題にならないからです。
しかし、損害賠償請求の場面では事情が異なります。損害賠償を請求するにあたっては、使用者側の「過失」が必要になります。「過失」とは、かなり難解な法概念なのですが、かみ砕いて言うと、
結果を予見することが可能であり、
適切な結果回避措置をとるべきであったにもかかわらず、
当該結果回避措置をとらなかったこと、
をいいます。
自殺事案の場合、使用者側の責任を追及しようとすると、
そもそも自殺を予見することができたのか、
何をすれば自殺を回避することができたのか、
といったことが、しばしば問題になります。
このような問題状況の中、近時公刊された判例集に、本人が「大丈夫です。」と回答していたにもかかわらず、使用者(自治体)の損害賠償責任が肯定された裁判例が掲載されていました。神戸地判令6.5.16労働判例ジャーナル154-56 神戸市事件です。
2.神戸市事件
本件で原告になったのは、神戸市職員(被災職員)の相続人らです。被災職員が飛び降り自殺をしたのは過重な公務によるものであり、安全配慮義務が認められるなどと主張し、神戸市を訴えたのが本件です。
被災職員の方は、教育委員会事務局で調整担当係長で、神戸市立小学校における職員間ハラスメント事案に関する業務も担っていました。
被災職員の体調がすぐれない様子であることは、ある程度勤務先も認識していたようで、声掛けをしたり、産業員を受診したりすることを勧めてはいました。
これに対し、被災職員は「考えてみます」「大丈夫です」などと反応していましたが、ある日、
「でも、もう自信がナイ。教育委員さんからの強い要求、不満がどんどん強まり、板挟み!どんどん色んなことが起きて、部下もこれ以上倒れさせられないと強がったけれども。力不足だ。前から眠れなくなって、睡眠薬も飲んだけど、朝近くに飲むとよく分からないまま会社にいる。入庁以来、色々あったけど、特に今年度はありすぎだ。そして、これから、再び、あの10月のようなこと、そして大量の懸案の処分がなされる。もう乗り越えられない。総合教育会議でも、委員会会議でも、公開の場で教育委員さんにはおしかりを受けた。議事録の通りだ。2月の委員会会議では、前代未聞の、委員発議だ。ふがいない。こんな自分では、教委に迷惑をかけるだけだ」、
「ダメだダメだ。これじゃあ死のうとしてるみたいだ。死んではいけない。生きる。寝られないけど今日は酒の力を借りて寝る。そして明日も生きるぞ。絶対自分では死なない。踏み留まるぞ!」
などと記載したメモを残したうえ自宅を出て、そのまま飛び降り自殺をしました。
この事案で、裁判所は、次のとおり述べて、被告神戸市の注意義務違反を認めました。
(裁判所の判断)
「令和元年12月以降の被災職員の時間外勤務時間は、所定始業時間から時間外勤務の申請に係る終業時刻までを基準とした場合には、同月3日から令和2年1月1日までの1か月間が29時間30分、同月2日から同月31日までの1か月間が41時間15分であり・・・、令和元年11月に被災職員の事務分担から総合教育会議が外れたこと・・・等もあって、従前に比すれば落ち着いた状況にはなっているものの、なお一定の負荷があったものといえる。」
「また、同年12月には、本件職員間ハラスメント事案に関する第三者委員会への資料提供漏れが判明して教育委員に相当な不信感を抱かせ、被災職員等に対して情報提供が遅いことに関する苦情のメールがされ、令和2年1月には、総合教育会議や教育委員会会議において、教育委員への情報提供や対応等についての発言がされるに至っている・・・。教育委員の発言等は、直接的には被災職員に向けられたものではないが、教育委員との窓口である被災職員がその責任を感じるのは無理からぬところであって、強い精神的負荷があったものといえる。本件公務災害認定通知書においても、被災職員は、同月末頃に、本件精神疾患を発症したものとされている。」
「そのようななか、被災職員は、同年2月7日、教育委員からの発議がある旨を伝えられており、被災職員が議案の内容自体は知らなかったとしても、教育委員と教育委員会事務局との間の緊張状態において生じた前代未聞の出来事として受け止め、窓口担当として、極めて強い精神的負荷を覚えたことは想像に難くない。実際に、被災職員が死亡した日に残したメモにおいても、同旨の記載がされている・・・。」
「以上のように、被災職員には、平成31年4月の教育委員会事務局への異動以降、とりわけ令和元年9月から同年11月までの間は、本件職員間ハラスメント事案という社会問題化した重大事案を受けて、従前経験のなかった教育委員と教育委員会事務局との窓口として強度の負荷があり、その後も、特に精神的負荷という観点から強度の負荷が継続していたものと認められる。」
「前提事実・・・のとおり、被災職員の上司らは、本件精神疾患を発症した頃である令和2年1月30日には、被災職員の顔色が悪く体調が優れない様子であると感じ、同日以降、同年2月2日には、被災職員から、だいぶ前から仕事が気になって眠れず、睡眠薬を飲んでいるというメールがされ、同月5日にも睡眠薬を飲んでいる旨の申告があるなど、被災職員が睡眠薬を飲まなければならないほどに追い詰められた状況にあることを認識し、これが業務による強い負荷を原因とするものであることも容易に認識することができたものといえる。」
「被告は、メンタルヘルスチェック制度等を設け、専門家による相談を受ける体制を構築しているほか、本件職員間ハラスメント事案を受けてメンタルヘルス相談に関する周知を改めて行い、被災職員についても令和元年11月に産業医によるメンタルヘルス相談が実施された・・・。また、被告は、同月に総合教育会議を被災職員の担当業務から外すなどの業務量の平準化に努め、これによって実際に被災職員の時間外勤務が減ったほか、令和2年2月2日に被災職員から睡眠薬を飲んでいる旨のメールがあった以降も、上司らが被災職員に寄り添う返信をしたり、積極的な声掛けをしたり、面談の機会を持った上で専門医の受診を勧めたりするなどの配慮・対応をしている・・・。しかし、業務内容については、強い精神的負荷の原因である教育委員との窓口としての業務を継続させている上、被災職員から睡眠薬を飲んでいる旨の申告等があった以降も、被災職員が『大丈夫です』と回答したことなどを踏まえて、直ちに産業医への診察を受けさせる、少なくとも当座の間について他の職員が被災職員の業務をフォローするなどの措置をとらず、対応を被災職員本人に委ねたにすぎない。」
「被告には、疲労や精神的負荷が過度に蓄積して職員の心身の健康を損なわないようにする注意義務があり、特に本件職員間ハラスメント事案を受けて強い負荷が認められる被災職員の時間外勤務の状況や業務内容に照らせば、被災職員の心身の健康状況等について特に注視しなければならなかった。そして、被災職員が睡眠薬を飲まなければならないほどに追い詰められた状況にあることを認識し、これが業務による強い負荷を原因とするものであることも容易に認識することができたのであるから、遅くとも令和2年2月5日には、直ちに産業医への診察を受けさせるなどのより緊急的かつ具体的な措置をとるべき義務があったというべきである。」
「被告は、それにもかかわらず、上記義務を怠って、被災職員本人に対応を委ねるにとどまり、被災職員が自殺するに至ったものと認められる。」
「被告は、教育委員らの発言は、事務局幹部に対するものであって被災職員の精神的負荷となり得るものとはいえないなどと主張する。」
「しかし、被災職員は、従前から教育委員会事務局と教育委員との間に不信感があり、本件職員間ハラスメント事案やその後の資料提供漏れを受けて更にその不信感や緊張感が高まっているなか、教育委員との窓口としての業務をしてきたものであり、教育委員らの発言が直接的には被災職員を対象としておらず、同報送信先(CC)に他の職員等も加わっているからといって、強い精神的負荷とならないなどという主張は、連絡調整業務の重要性やそれに伴う責任、更には本件調査報告書や本件公務災害認定通知においても指摘されている本件職員間ハラスメント事案を受けた教育委員と教育委員会事務局との間の不信感、緊張関係等を正しく理解せず、軽視するものであって、採用することができない。」
「被告は、上司らにおいて、被災職員が業務上の負荷をかけられているとも、被災職員の不調が重篤なものであるとも認識することはできなかったなどとして被災職員が自殺することについての予見可能性を否定する。」
「しかし、特に本件職員間ハラスメント事案以降、被災職員には強い負荷があり、令和元年12月以降も時間外勤務時間は従前に比すれば落ち着いた状況にあるものの、精神的負荷は依然強いものがあったことは上記のとおりであり、仕事が気になって寝ることができず、睡眠薬を飲んでいる旨のメールや、睡眠薬を飲んでいる旨の申告がされながらも、被災職員の上司らにおいて、被災職員の業務上の負荷を認識していなかったとか、被災職員の不調が重篤なものであると認識していなかったなどとは考えられず、仮にこれらを認識していなかったとしても、その負荷の重さを軽視していたにすぎない。被災職員が強い業務上の負荷を理由に睡眠薬を飲まなければならないほどに追い詰められていたことを認識することができた以上、被災職員が自殺することを予見することができなかったとはいえず、被告の主張を採用することはできない。」
「被告は、考え得る限りの対応を尽くしており、結果回避可能性がないと主張するが、被告として一定の配慮・対応をしていたことを踏まえても、本件における被災職員の負荷の強さや、そのような状況でされた睡眠薬を飲んでいる旨の申告を踏まえた対応として十分なものといえないことはこれまで認定・説示してきたところであって、被告の主張を採用することはできない。」
「以上のとおり、被告は、遅くとも令和2年2月5日には、被災職員が睡眠薬を飲まなければならないほどに追い詰められた状況にあることを認識し、これが業務による強い負荷を原因とするものであることも容易に認識することができたのであるから、直ちに産業医への診察を受けさせるなどの措置をとるべき義務があったにもかかわらず、これを怠ったものと認められ(以下、この義務違反を『本件不法行為』という。)、被告は、国家賠償法1条1項に基づき、その損害賠償責任を負う。」
3.職員が「大丈夫」などといっても、それを真に受けない対応が必要
被災職員が自殺前に残したメモからも分かるとおり、職務に真摯な職員・労働者ほど、客観的には大丈夫ではないのに「大丈夫だ」と言う傾向があります。
裁判所の判断は、こうした本人の言動に甘えてはダメで、安全配慮のための措置の要否は、あくまでも客観的な状況(業務負荷や睡眠薬を飲んでいるなどの客観的な事実)から判断されなければならないというメッセージであるように思われます。
過失論という法的側面だけではなく、自殺の防止を考えるうえでも参考になる裁判例だと思います。
